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福井地方裁判所 昭和47年(ワ)270号 判決 1975年12月19日

原告

渡辺晃規

ほか四名

被告

主文

一  被告は、原告渡辺実に対し金八九万一、〇〇〇円、同渡辺晃規、同渡辺俊夫、同渡辺俊江に対し各金一四万五、一一三円、同入江チヨに対し金三三万円及びこれらに対する昭和四四年一二月二二日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを四分し、その三を原告らの負担とし、その余を被告らの負担とする。

四  この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一申立

原告らは、「一、被告は、原告渡辺晃規、同渡辺俊夫、同渡辺俊江に対し各金九九万二、二二五円、同渡辺実に対し金二一二万七、〇〇〇円、同入江チヨに対し金一一五万円及びこれらに対する昭和四四年一二月二二日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。二、訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに仮執行宣言を求め、被告は、「一、原告らの請求を棄却する。二、訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決並びに担保を条件とする仮執行免脱宣言を求めた。

第二主張

一  請求原因

1  事故の発生

訴外橋本冨久(以下「訴外冨久」という)は、昭和四四年一二月二一日午前一〇時ころ、原告渡辺実(以下「原告実」という)所有で、訴外渡辺悟啓(以下「訴外悟啓」という)の運転する普通乗用自動車(福井五ぬ七七八二、以下「本件車両」という)に同乗し、国道八号線(以下「本件国道」という)を福井市方面から福井県南条郡河野村方面に向けて南進して右国道の同村具谷所在の具谷第二トンネル(以下「本件トンネル」という)の南出口から南側約五〇メートルの地点(以下「本件事故現場」という)に至つた。右地点で本件車両を相当のスピードで追越そうとする他の自動車があつたので、危険を感じた訴外悟啓がブレーキを踏んだところ、本件トンネル南出口附近の本件国道はトンネル内の部分約一〇メートルを含め南方に約五〇メートルに亘り路面が凍結(アイスバーン状態)していたので、本件車両はスリツプし、同人はハンドルを取られ、その勢いで本件車両は一回転したうえ、進路右側の谷川に転落した。訴外冨久は、右転落途中車外に飛ばされて谷川に落ち、頭を強く打つたため、同日午後一時二〇分ごろ死亡した。

2  被告の責任(本件国道・トンネルの設置及び管理の瑕疵)

(1) 本件事故現場は、本件トンネル及び国道の湧水防止が不完全のため地下水ないし雪解水で常に本件トンネルの天井側壁のコンクリートの打ち継目からの湧水が落下流出すると共に、本件国道の路面自体のコンクリート舗装の継目からの湧水もあり、これら湧水のため本件国道の路面は常に濡れており、右湧水が前記アイスバーンを形成する原因となつていた。

(2) 本件国道の管理者である被告国の出先機関である建設省福井国道維持出張所(以下「福井出張所」という)は、本件国道のうち本件事故現場を含む福井県武生市春日野地籍から同県南条郡河野村大谷地籍にかけての区間(以下「本件区間」という)が、冬期には路面が凍結してアイスバーン状態の発生することがしばしばあることを日頃経験していたのであるから、右出張所としては、特にアイスバーン状態が惹起される可能性のある冬季の毎日午後五時から翌朝八時までの時間帯には国道のパトロールを強化し、必要に応じて除雪車、凍結防止用の薬剤散布車を出動させ積雪凍結の発生防止ないし除去に勤めることは勿論、アイスバーンの生じた路面に危険、徐行等を表示した掲示板を設置するなりして、アイスバーンに基因する交通事故を未然に防止すべき注意義務がある。

(3) ところで、本件事故当日及びその前日はいずれも晴天で本件区間内の太良地籍においては、事故当日はその前日に比べ新雪積雪を合せて七センチメートルの雪が解け、雪解水が事故前日の夜間から当日早朝にかけての気温の下降により凍結して、アイスバーン状態を形成し、そのため事故当日本件区間では、本件事故以外にも、同日午前九時二〇分ころ、右太良地籍において訴外新久保睦雄がスリツプ事故を起し五〇メートル下の谷川に転落するという事故が発生した外、本件トンネル所在の具谷地籍においても、三重衝突、側面衝突事故が相次いで発生した。殊に本件トンネルは前記のように防水については極めて不完成な構造にあり、且つ同トンネルの東側は山となつている関係から、右のような事故前日からの雪解水がトンネル側壁ないし舗装コンクリートの打ち継目から本件事故現場に流出し、アイスバーン状態を形成したもので、本件事故は明らかに右アイスバーンに基因するものと断ぜざるを得ない。

(4) しかるに被告の福井出張所は、前記のように本件区間が晴天であつたことから、路面がアイスバーン状態になつていることを看過し、本件事故前日の昭和四四年一二月二〇日夜間から翌本件事故当日の二一日の早朝までの間に一度も右区間のパトロールをなさなかつたため、右出張所は、本件事故現場を含む本件区間の路面が随所でアイスバーン状態になつていたことに気付かなかつた。しかして、前記のように本件区間で事故が相次いで起つたため、所轄の武生警察署は右区間を通行する車両に注意を呼び掛け、特に軽四輪車に対しては、通行を控えるように指示すると共に福井県警察本部を通じ、福井出張所に対し凍結防止剤の散布を依頼した結果、同日午前一一時三〇分になつてようやく右出張所は一時間に亘り薬剤散布の処置を行つたが、右処置は余りにも遅きに失したという外はない。また、右出張所は、本件事故当時本件トンネルから約五〇メートル北側(福井市寄り)の具谷第一トンネル北側には「道路氷結この先三〇〇メートルすべる、最徐行」なる立看板を設置していたものの、本件トンネル北口には、右のような立看板はなく、本件事故後右出張所は、同じ立看板を設置した。

以上要するに本件事故は、被告の本件トンネル・国道の設置及びその管理に瑕疵があつたために生じたものであるから、被告は国家賠償法二条一項に基づき本件事故により原告らの蒙つた損害を賠償する責任がある。

3  訴外冨久と原告らの身内関係及び権利の承継

原告渡辺晃規、同渡辺俊夫、同渡辺俊江(以下「原告晃規、同俊夫、同俊江」という)はいずれも原告実と訴外冨久の子であり、同女の死亡によりその権利を承継したもの、原告入江チヨ(以下「原告チヨ」という)は、訴外冨久の実母である。また原告実は訴外冨久の内縁の夫である。

4  原告らの損害

(1) 逸失利益 四〇八万九、六七九円

イ 訴外冨久は、大正一〇年七月一九日生れの女子で本件事故当時満四八才であつた。

ロ 原告実は、本件事故前の昭和四四年九月二七日まで従業員二〇名を使用して製紙業を営なみ、訴外冨久は、原告晃規、同俊夫及び訴外悟啓(同訴外人は原告実とその先妻で訴外冨久の姉千枝の子、右千枝と原告実との間には他に訴外渡辺泰敏がいる。)と共に右事業に従事し、経理庶務などの事務一切を担当する事実上の専務として稼働し、右同日製紙工場が焼失したため、これが再建のため東奔西走している途中本件事故に遇つたものであり同女に対する給料は特に定めてはいなかつたが、同女は同年令の女子労働者の平均所得は充分稼働できる地位と手腕を持つていた。

ハ ところで統計によれば、昭和四三年中の四〇才から四九才までの女子一ケ月平均所得は三万三、七〇〇円、月平均生活費は一万五、七〇〇円で、月平均純所得は一万八、〇〇〇円、同四七年中の月平均所得は六万七、四〇〇円、月平均生活費は三万三、七〇〇円で、月平均純所得は三万三、七〇〇円であるから、右該当者の昭和四三年中の年純所得は二一万六、〇〇〇円、同四七年中のそれは四〇万四、〇〇〇円である。そして本件事故当時四八才であつた訴外冨久の就労可能年数は一五年であるから、右事故後の昭和四五年一月一日を起算点として計算すれば、同女の一五年間に得べかりし純所得総額は五六八万九、二〇〇円(昭和四五・四六年度は年間所得二一万六、〇〇〇円で、同四七年以降は同じく四〇万四、四〇〇円)である。右純所得からホフマン式計算によつて一五年間の中間利息を控除すると、結局同女の死亡時に於る得べかりし利益総額は四〇八万九、六七九円(計算書別紙一)である。

ニ 右訴外冨久の逸失利益四〇八万九、六七九円を、原告晃規、同俊夫、同俊江が相続したので、各自の相続分は一三六万三、二二六円(円未満切捨)である。

(2) 慰藉料

原告実は、訴外亡千枝と結婚し、同女との間に訴外渡辺泰敏、同悟啓の二子をもうけたが、右千枝が死亡したため昭和一八年四月一七日右千枝の妹である訴外冨久と再婚しその間に原告晃規、同俊夫、同俊江の三子をもうけたが、同二六年二月二一日協議離婚した。しかし右離婚の六ケ月後に両者は再び同居し、爾来本件事故に至るまで事実上の夫婦(内縁関係)として共同生活をしていたもので、しかして右同居に際して再度婚姻届をなさなかつたのは、訴外冨久の実母である原告チヨと原告実との間の感情的なもつれによるものであつた。ところで原告実は、若いころ王子製紙株式会社に入社し、樺太・満州国大連などに於て、工場長を勤めた技術者で、本件事故直前までは前記のような規模の製紙業を営み、その内妻であつた訴外冨久は右事業で手腕を振い、工場焼失後右事業の再建に尽力していた矢先本件事故により死亡したもので、訴外冨久及びその遺族である原告らの受けた精神的苦痛は甚大である。よつて右事情を総合すれば、慰藉料の額は以下の金額を以つて相当とする。

イ 訴外冨久の慰藉料及びその相続

訴外冨久の死亡による同人の慰藉料は五〇万円を以つて相当とするところ、右を原告晃規、同俊夫、同俊江の三名が相続したので、各自の相続分は一六万六、六六六円(円未満切捨)である。

ロ 原告ら固有の慰藉料 五〇〇万円

訴外冨久の死亡により、その遺族ないしそれに準ずる者としての原告ら固有の慰藉料は各自一〇〇万円を以つて相当とする。

(3) 物的損害(車両損傷) 六〇万円

本件事故により原告実所有の本件車両は大破して使用不能となつた。右車両は、昭和四三年六月二七日原告実が訴外福井トヨタ自動車株式会社から購入したもので、右事故当時の価額は六〇万円であり、従つて原告実は同額の損害を蒙つた。

(4) 葬儀費用 二五万円

前記訴外冨久との身分関係から、原告実が同女の葬儀費用一切を負担したところ、二五万円以上の費用を支出したので、その内金である。

(5) 一部弁済(保険給付金)

原告晃規、同俊夫、同俊江は、保険金五〇〇万円の支払を受けている。

(6) 弁護士報酬

原告らは本訴の提起追行を原告代理人に委任し、その際原告らは、同弁護士との間でいずれも後記弁護士報酬金額を除くその余の本訴請求額の一割五分相当の金額を弁護士報酬として支払う約定をなした。

(7) 損害額合計

原告晃規、同俊夫、同俊江は、4(1)、(2)イに付いては各三分の一宛承継したので右(1)は各自一三六万三、二二六円(円未満切捨、以下同じ)、(2)イは各自一六万六、六六六円で、これに同(2)ロを加えると各自二五二万九、八九二円となる。そして同(5)を三分した各一六六万六、六六七円(円未満四捨五入)を右金額から控除すると、各自の損害は各八六万三、二二五円となり、これに同(6)の割合による金額一二万九、〇〇〇円を加算すると各自の請求額は九九万二、二二五円となる。

原告実は、同(2)ロ、(3)、(4)の合計一八五万円に同(6)の割合による金額二七万七、〇〇〇円を加算した二一二万七、〇〇〇円である。

原告チヨは、同(2)ロの一〇〇万円に、同(6)の割合による金額一五万円を加算した一一五万円である。

5  結論

よつて原告らは被告に対し国家賠償法二条一項に基づき原告晃規、同俊夫、同俊江は各九九万二、二二五円、同実は二一二万七、〇〇〇円、同チヨは一一五万円及びこれらに対する本件事故発生の翌日である昭和四四年一二月二二日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1のうち、原告ら主張の日時・場所に於て訴外悟啓運転の本件車両が谷川に転落し、訴外冨久が死亡したことは認め、本件事故現場が原告ら主張の範囲に亘つて凍結しアイスバーン状態であつたことは否認し、その余は不知。

2  同2のうち、被告の福井出張所が本件区間は冬期に路面が凍結してアイスバーン状態の発生があることを経験していたこと、右出張所が本件事故前日の夜間から当日早朝のパトロールをしていないこと、本件トンネル北口には当時スリツプ注意の掲示板を設置していなかつたこと、本件事故当日武生警察署からの依頼で原告主張の時刻ころ右出張所が薬剤散布を行つたことは認め、その余は不知。被告の責任に関する法律的主張は争う。

3  同3及び4は不知。

三  被告の主張

1  本件国道の概況

本件事故現場の存する本件国道は一般国道で、新潟市を起点とし福井県のほぼ中央を南北に貫通して京都市に至る幹線道路であつて、建設大臣(福井県内は建設省近畿地方建設局福井工事事務所、以下「福井工事事務所」という)が管理しているものである。

本件事故現場を含む福井県武生市春日野町から同県南条郡河野村大谷までの区間の本件国道は、従来から山地部の多雪地帯を縫つて走る狭隘な道路であつたため、昭和二七年項から線形の改良および拡幅等の改良工事が行なわれ、同三六年には具谷第一トンネルとともに本件事故現場直近の本件トンネルも完成し、同三九年には舗装工事も完了して従前に比して相当な改良がなされ、本件事故当時日交通量八、〇〇〇台を擁するに至つていた。

2  本件国道の管理(維持修繕)状況

福井工事事務所は、本件国道福井県内八六・七キロメートルの管理を担当しているのであるが、その業務の一部を二つの出張所に分担させている。

すなわち、本件事故現場を含む石川県境から福井県南条郡河野村大谷に至る六二・六キロメートルの区間の管理業務は福井出張所に、その他の区間については、他の出張所にそれぞれ分担させている。即ち、

本件国道を常に良好な状態に保つため、先ず出張所の巡回担当者による巡回を毎日(通常日曜日、祝日は除く)実施している。この巡回は、通常巡回担当者が午前九時前後に出張所を出発し、担当区間の道路状況につき、時間をかけて調査し、交通の障害になるものの早期発見および排除を行ない、安全かつ円滑な交通を確保し、併せて道路構造の保全に努めている。

一方、本件事故現場を含む日本海沿岸地方は、冬期に降雪量が多いため、積雪による交通の支障を除去するべく、福井工事事務所は、毎年一二月一五日から翌年三月一五日までを「雪寒対策期間」と定め、右の通常一般的な巡回に加えて別途の冬期道路管理体制をとり、除雪、排雪等を実施してその管理に万全を期している。

すなわち、雪寒対策期間中は、除雪および凍結防止作業を実施する区間、箇所並びに積雪観測地点、同対策に対応する組織編成、除雪作業、凍結防止作業の基準および作業要領、情報連絡系統、広報手段等についてあらかじめ定めておき、これによつて、そのときどきの気象状況に応じた管理がなされている。

具体的には、毎日、午後三時現在における気象予報を福井気象台に問い合せ、その結果に基づき、大雪注意報等が発令された場合にはもちろん、その他降雪が予想される気象状況の場合には通常の勤務時間(通常の勤務時間とは、月曜日から金曜日までは八時三〇分から一七時まで、土曜日は八時三〇分から一二時三〇分までをいう。)の内外にかかわらず担当区間の巡回に当るほか、必要な要員及び除雪機械等を待機させる。また、その予報に拘らず現実に降雪がある場合および路面が湿潤であり又は積雪があつて気温が摂氏〇度以下になると予想される場合にも同様の措置をとる。そして、右の各巡回により、交通の支障となるような積雪、路面の凍結等を発見した場合には、巡回担当者から無線で出張所へ連絡され、スノーローダー等を使用して除雪し、凍結防止剤撒布車等を使用して凍結防止剤を散布する等の措置を講ずる。また右の巡回による措置のほか、警察署等の関係機関からの情報その他一般通行人からの情報による場合も同様の措置をとる。なお、凍結が予想される場合の措置は、過去の凍結状況、地形(急なカーブや急勾配のところ)等を総合的に考慮してあらかじめ指定した箇所に凍結防止剤を散布することになつている。これらの除雪、凍結防止剤散布等の作業は、道路維持作業請負契約に基づき、出張所の監督下に請負業者に実施させるのであり、本件事故当時は訴外山根建設株式会社に実施させていた。

このほか右期間中は、本件国道の全線にわたり必要な箇所に「スリツプ注意」等の道路標識を設置し、一般通行人に注意を喚起させる等道路の管理に万全を期しており、本件事故当時もこのような道路標識を設置していた。

3  本件事故前の本件事故現場の道路状況および管理状況

本件事故前日における同事故現場を含む道路状況についてみると、天候は晴天で、路肩部分に二〇センチメートル程の積雪があつたものの、車道部分は乾燥していた。また、事故当日も引続き晴天であり、路肩部分の積雪深が減少したほかは前日と同様の状態であつた。

次に本件トンネルの状況についてみるに、原告は、「常時湧水が路面に流れ出ているだけでなく、路面からも水が湧き出ており、右湧水が雪解け水と共に前記アイスバーンを作る」と主張するが、本件トンネルの漏水は降雨、降雪により地中に浸透した地下水がトンネルの打ち継目から漏れる水であつて、その有無、量については降雨降雪量によつて異り、常時路面に落下(トンネル上層部からに限る。側壁部から路面に落下することはない)するものでなく、降雨等が無い場合は漏れることがない。

また、本件事故現場附近は山地部で民家等がなく、従つてこれらに接続する水道管等も存在しないので路面から湧水することはあり得ず、その他湧水の原因となるものは全く存在しない。

ただ、事故時以前における降雨降雪により地中に浸透した地下水がトンネル上部の打ち継目から多少落下していた可能性は存するも、この水が路面を流れてトンネルの外に出ることは考えられない。

何故ならば、本件国道の構造は、車道中央から路肩にかけて一・五パーセント前後の横断勾配が附されているため、落下した水は側溝に流れるためである。この場合、仮りに少しでも縦断勾配があればそれだけ斜め前方側溝寄りに流れることは否定できないのであるが、本件事故現場の縦断勾配は三・八四パーセントという緩かなものとなつているため、横断勾配との関係により、前述のとおりいくらかは斜め前方へ流れるとしても間もなく側溝に流れ落ちてしまうこととなり、結局落下した水がトンネルの外まで流れるということは考えられない。

そのような次第で本件事故現場は、過去においてスリツプ事故は一件も発生しておらず、前記雪寒対策期間中における凍結防止箇所にも指定されていなかつたところである。

本件事故当日福井出張所においてはその分担管理している道路の状況が前述のとおりであり、また福井気象台においても降雪や凍結が予想されるような内容の情報も出しておらずこれらの事態は予想されなかつたため、前記のような特別の措置はとらなかつた。

本件事故当日、日直として福井出張所に勤務していた同出張所職員訴外斉藤公太郎は、午前一〇時三〇分ころ、武生警察署から河野トンネル付近に凍結があるので、薬剤散布をして欲しいとの電話連絡を受け、直ちに出張所長訴外吉川源之助にその旨報告したところ、直ぐに現場へ直行して状況を調べるように指示されたので、出張所の車を運転して、本件現場を通つて河野トンネルまで行き、同トンネル付近の凍結現場を確認した後、直ちに大良基地へ行き、確認した状況を出張所長に報告し、出張所長から薬剤散布の指示を受け、午前一一時頃、請負業者の訴外山根建設に対し、「河野トンネル付近が凍結しているから薬剤を散布するように」との指示を行い、再び事故現場を通つて出張所に戻つた。そして、山根建設からは、その日、午前一一時三〇分から午後〇時三〇分までの間に、凍結箇所への薬剤散布を実施した旨の報告があつたのであり、同人は、当日、本件事故現場を往復通つているが凍結の事実は認めていない。

4  本件事故について

本件事故について原告は、「具谷トンネルを通り抜けた途端、相当のスピードで右自動車を追い越そうとする他の自動車があつたので、危険を感じブレーキをふんだところ、トンネル南側路面がトンネル内の部分約一〇米を含んで約五〇米にわたつて凍結(アイスバーン)していたのでスリツプして」と主張するのみで、その危険を感じ、ブレーキを踏まざるを得なくなつた経緯は定かでない。しかし本件トンネルおよびその附近の道路の状況は前述のとおりであり、仮りに漏水がトンネル路面に落下していたとしてみてもトンネル外の道路上にまで流れ出ることは考えられず、従つて原告主張のとおりトンネルを通り抜けてからブレーキを踏んでも、そこに漏水の流出によるアイスバーンは生じていないから、原告主張のような原因、経過でスリツプし右側の路外へ転落するに至ることはない。

しかしながら、漏水が落下していたと仮定すれば、それ自体流れ出るものでないとしても、一般に通行する車両がそのタイヤにこれを付着させるため、順次その進行方向に向かつて、路面を濡れた状態にしていくことは容易に想像できることである。そしてその濡れた状態になる範囲と質は、その時における交通量と交通状況、気象状況(乾燥の要因となる風等)、落下する漏水の量とその断続の程度、落下した地点に続く路面の状況など、諸般の要素によつて千変万化するべきものである。

そして、本件においてその範囲のみについて着目した場合本件車両の進行方向(敦賀方向車線)が濡れている状態となることはあれ、その右側福井方向車線は落下した漏水を付着して来るべき車両がないので、その可能性が非常に少ないということは容易に推察できる。そしてその非常に少ない可能性は本件車両のように進行して来た車両が、他の車両を追越すため、反対車線たる右側に出る場合にのみみられることである。

そうすると、仮りに凍結していたとしてもその範囲としては本件車両の進行方向に向かつて左側のみ、ということの蓋然性が強く、仮りにここでスリツプしたとしても、左側へ滑走してゆくと考えるのが自然であり、いずれにしても原告主張のような経過で右側路外へ転落するに至るとは考えられない。

5  道路の管理義務について

道路管理者は、道路を常に良好な状態に保持し、一般交通の用に供する義務を負うことはもとより当然であつて、個々の道路の構造および交通の状況に適合した危険防止の措置をとらなければならないのである。また、道路の構造についても、当該道路の存する地域の地形、地質、気象その他の状況および交通の状況に照らし、通常の走行に安全なものであるとともに円滑な交通を確保するものでなければならない。

道路の設置・管理に瑕疵があるか否かは右のような規準に照らし、通常当該道路に対し予定又は予期された安全性を備えているか否かによつて判断すべきである。

すなわち、如何なる場所においても道路の路面状況が完全であることは、道路利用者にとつて望ましいことはもちろんであるが、その程度は、その道路の存する地域の地形、気象その他の条件および交通量等に照らして考慮されるべき性質のもので、たとえば、降雨、降雪その他により路面が濡れている一般日常的な状態や、これと同視してよいと思われるところの本件トンネルを含む多くのトンネルにおいて多少の漏水により路面が濡れている状態は、我が国の現在の道路事情のもとでは珍しいことではなく、これらが直ちに一般交通に支障を与えることにならないことは経験的事実であり、道路を常に乾燥した状態に保たなければならないものでもなく、これをもつて、道路として通常備えるべき安全性を欠いているとはいえない。

本件の場合は、本件道路が降雪による支障の多いことを考慮して前記のごとく冬期道路管理体制をとり、常時交通状況気象状況を掌握し、いつでも特別な措置がとれるようにし、また、道路標識を設置するなどしてその管理に万全を期しており、事故当日は、偶々事故前日からの晴天続きで路面が乾燥しており、右路面状況や収集した気象情報により路面の凍結が予想できず、事前に特別な措置をとつていなかつたのであるが、仮りに本件トンネル附近が凍結していたとしてもこれをもつて直ちに道路が通常備えるべき安全性を欠いたとしてその責任を被告に問うのは行き過ぎである。

本件事故は、こうして考えてみると、まつたく運転手渡辺悟啓の無謀運転によるものか、あるいは運転未熟によるものとしか考えられず、同人が通常の運転者としての注意義務を払つてさえいたならば到底起こり得ない事故であつて、道路管理の瑕疵というようなこととはまつたく無関係の事故である。

第三証拠〔略〕

理由

第一  本件事故現場の路面凍結の有無及びその原因

一  昭和四四年一二月二一日午前一〇時ころ、福井県南条郡河野村具谷の国道八号線第二具谷トンネル南出口附近上り線において、訴外悟啓運転の本件車両が進路右側の谷川に転落し、同乗の訴外富久が死亡する事故が発生したことは当事者間に争がない。

二  つぎに〔証拠略〕によれば、本件事故当日午後〇時五〇分から武生警察署により事故現場で実況見分が行なわれたが、右実況見分開始時点(事故発生時より約三時間後)において司法警察員巡査部長訴外斉藤正憲は本件トンネル内は南口から約一〇メートル、トンネル外は南口から約四〇メートル計約五〇メートルの区間が国道全幅に亘り凍結していることを現認し、実況見分調書にもその旨記載していることが認められるから、特別事情なき限り、右警察官の認識を正しいものと認めるべきであり、従つて、事故発生時においても本件事故現場は少くとも同程度以上に凍結していたものと推認できる。右認定の趣旨に反する証人吉川源之助、同斉藤公太郎の各証言部分はたやすく信用し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠は存しない。

なお〔証拠略〕によれば、事故当日朝本件トンネルに程近い河野トンネルの南口国道附近において、道路が凍結し、警察署からの注意により融雪剤の散布がなされており、また同じく事故当日朝午前九時二〇分ごろ河野村大良地籍で小型トラツクがガードレールを乗り越え、谷川に転落する事故を始めとして、本件トンネルと同一地籍内において路面凍結に基因するスリツプ事故数件が発生していることが認められ、これら事実も、本件事故現場が当時凍結していたことの有力な証拠となし得ると考える。

三  そこで、本件事故現場凍結の原因について考えるに、〔証拠略〕によれば、本件事故前の一二月一三日附近一帯に大雪があり、かつ事故前日及び当日は晴天であつて事故現場より約二キロメートル敦賀寄りにある福井出張所太良基地においても、二一日午前九時における積雪量は二〇日同時刻に比し約七センチメートルも減少しており、かつ同基地における最低気温は両日共零下二度であつたこと、そして本件事故当時本件トンネル内においては天井よりの漏水状態がみられたのみならず、トンネル南口事故現場附近路面のコンクリート打ち継目に隙間があり、そこからの湧水も存したこと、本件事故現場附近は縦断勾配は三・八四パーセント(敦賀方向に下り坂)であつて建設省の雪寒対策計画において太良基地(第四工区)における凍結防止箇所として〔証拠略〕に挙げられている縦断勾配三パーセント以上の箇所に該当していること(但し現実には凍結防止箇所とされていなかつた)以上の事実が認められ、右認定に反する前掲甲第八号証の記載内容、証人吉川源之助、同斉藤公太郎の各証言は措信し難く、他に右認定を左右するに足る証拠は存しない。

してみれば、本件事故当時右晴天により事故現場周辺の山にあつた積雪が融解して本件トンネル天井よりの漏水及び路面コンクリート継ぎ目よりの湧水となり本件事故現場の路面に流出し前夜来の気温の低下により前記凍結をもたらしたものと推認することができる。

第二  本件事故の具体的態様

一  〔証拠略〕によれば、次の事実が認められる。

(一)  本件事故現場は、当時前記のとおりトンネル南口においてトンネル内約一〇メートル、トンネル外約四〇メートルに亘つて凍結しており、事故当日の午後に行われた前記実況見分によれば、トンネル外西側に設置されていたガードレールに本件車両が衝突した痕跡は、トンネル南口約四八メートルの地点に一箇、ついでそこから約一二、三メートル南方の地点に一箇存し、また后者の衝突痕から約一二・二メートルに亘つて本件車両がガードレールに乗り上げたときに生じたと思われる接触痕が続いており、右接触痕の切れ目の崖ののり面に数箇所に亘り本件車両が転落中に接触したと思われる痕跡が存した。

(二)  事故の具体的経過について訴外悟啓は、昭和四五年一月二〇日施行の実況見分時において、トンネル南口を出た直後に普通トラツクとすれ違い、約一〇・四メートル進行したとき後続車に追い越され、後続車が進路前方約四・七メートルの地点に入つて来たので、危険を感じ急ブレーキを踏み、ハンドルを左に切つたところ、スリツプしてガードレールに衝突した。その後のことは記憶していない趣旨の指示説明をなし当裁判所の証人尋問においても、対向車のことを除いて同趣旨の供述をしている。

一方、右訴外人は事故当日に入院した病院で新聞記者に対し、対向車が追い越しのため本件車両の進路前方に出て来たのでブレーキを踏んだらスリツプしてハンドルをとられた趣旨を告げている。

(三)  右訴外人は、崖下約四〇メートルの谷底に転落し、五分ないし一〇分意識を失つている。

以上の事実が認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠は存しない。

右事実によれば、訴外悟啓は本件事故により谷底に転落し、一旦は意識を失つており、本件事故の具体的経過についての同人の供述は、一貫性を欠き、俄かに信を措き難い点が存する(後続車の追い越しが、トンネル入口の至近距離で起るとは通常考えられない)ことが明らかである。

従つて、事故の経過、原因については客観的に明らかな事故現場の凍結、衝突痕等により推定する外はない。

通常道路面が凍結しているとき走行中の車両がスリツプするには、ハンドルを切るか、ブレーキを踏むかしなければ生じないこと、またそのスリツプの程度は、速度、ハンドルの切り方、ブレーキの踏み方の程度に比例するところからすれば、訴外悟啓は、相当な高速で凍結中の本件事故現場にさしかかり、ハンドル操作、ブレーキ操作を誤り、そのため本件車両がスリツプし、ガードレールに衝突し、これを乗り越え谷底に転落したものと推認する外はない。

従つて、本件事故は、事故現場の凍結と訴外悟啓の操縦の誤りとが競合して生じたものというべきである。

第三  本件国道の維持及び管理体制及び被告の責任

一  〔証拠略〕によれば、

本件国道の概況、通常時及び冬季の右国道の管理体制はほぼ被告主張の通りであること、被告の福井工事事務所が策定した冬季の雪寒対策計画では、本件区間は雪寒対策区間に指定され、このうち右現場から福井市寄りの武生トンネル(武生市から敦賀市方向へ武生トンネル、具谷第一トンネル、本件トンネル、河野トンネルの順で続く)前後の区間、河野村具谷から同村大谷間(この区間に本件現場がある)の半径一〇〇メートル以下のカーブ及び縦断勾配三パーセント以上の区間、敦賀寄りの桜橋前後の区間、太良部落の区間は凍結防止箇所と指定されてはいたが、本件現場は前記のとおり縦断勾配が三・七五パーセントであるにかかわらず凍結防止区間ないし箇所とは指定されていなかつたこと、福井工事事務所は、武生トンネルと具谷第一トンネル間を初めとして本件国道の随所にスリツプ注意の掲示板を設置していたこと、福井工事事務所ないし福井出張所としては、本件事故前日及び当日が共に晴天であつたことから、本件区間において本件事故現場を初めとして随所で路面が凍結する事態を予測しなかつたこと、また前記のように本件区間で当日本件事故以外にスリツプ事故が相次いで発生したため、所轄の武生警察署は通行車両に注意を促すと共に特に軽四輪車の通行を控えるよう指示したこと。

以上の事実が認められ、〔証拠略〕中右認定に反する部分は措信し難く他に右認定を左右するに足る証拠はなく、なお、福井工事事務所ないし福井出張所が本件区間が冬季に路面が凍結することがあることを経験していたこと、右事務所ないし出張所は本件事故前日の夜間から当日早朝のパトロールをしておらず、また本件トンネル北口には当時スリツプ注意の掲示板を設置していなかつたことは当事者間に争いがない。

二  ところで国道ないしその附帯施設が国家賠償法二条一項にいう公の営造物であることは多言を要しないところ、右国道ないしその附帯施設の構造は、当該国道の存する地域の地形、地質、気象及び交通等の状況に照らし、通常の車両等の走行に安全なものであることを要し、また国道管理者は、当該国道の構造ないし交通の状況に適合した危険防止の措置をなし、国道を常に良好な状態で保持し、安全且つ円滑な交通を確保すべき義務があり、右の規準に照らし、通常、当該国道が予定又は予期された構造を備えず安全性を欠いている場合及び危険防止の措置を講じなかつた場合には、国道の設置・管理に瑕疵があるというべきである。

これを本件についてみるに、先に認定した本件事故現場の凍結の原因、本件トンネルと同一地籍内における凍結に起因するスリツプ事故の発生等からすれば、本件事故現場を含む本件区間においても事故当日、夜間より早朝にかけて前日よりの融雪水が気温低下により凍結し、同区間を通行する車両がスリツプ事故を起す虞れのあることを充分予測しえたのであるから早朝にパトロールを実施すれば、本件事故現場の凍結も容易にこれを発見することができ、薬剤散布等適切な対策が講じえられたにも拘らず、〔証拠略〕によるも昭和四四年一二月一八日に至り、これまでの随時出勤の第一ないし第二態勢を解き、事故当日である二一日も何等特別の態勢に入ることなく、前記の如く警察よりの河野トンネル南口の凍結防止剤散布の要請を受けて日直員の訴外斉藤において午前一〇時三〇分ごろ漸く太良基地に向い薬剤散布を講じたことが認められるのであつて、右は正に前記気象状況等に応じ常に道路を可能な限り通行に適合した状態におくべき国道の維持管理に明らかな瑕疵があつたものという外なく、而して右瑕疵がなければ本件事故の発生はこれを防止し得たことは明らかであるから、本件事故は正に右瑕疵に基因するものと云うべきである。

従つて被告は本件国道の右設置及び管理の瑕疵に対し原告らに国家賠償法二条一項に基づき本件事故による損害を賠償すべきである。

三  ところで本件事故につき訴外悟啓に操従の誤りがあつたことは先に認定したとおりであり、たとえ訴外悟啓の説明のように進路前方における対向車の追い越しを避けるため、ハンドル及びブレーキの操作をなす必要があつたとしても、同人においても、当然本件事故現場たるトンネル出口附近においては凍結の危険あることを予測し、スリツプ事故のなき様、低速度にて進行すべき注意義務が存したものというべきところ、同人は右注意義務を怠り漫然相当な高速にて進行中にハンドル及びブレーキの操作をなし、その必然の結果として前記のような本件スリツプ事故が生じたのであり、同人の過失は少からぬものがある。

ところで、後記認定の訴外悟啓と亡冨久及び原告実の身分関係特に訴外悟啓にとつては実の叔母である冨久と、訴外悟啓は冨久が実父実と結婚して以来事実上の母として共同生活をして来たことが窺える事実、及び本件事故は訴外冨久の所要で訴外悟啓が本件車両を運転していたこと、並びに本件車両の従前の所有、使用状況に照らせば、訴外悟啓の右過失を被害者たる亡冨久及び原告実の過失として評価しうると云うべきであるけれども、亡冨久及び原告実が直接ハンドルを握つていたのではない点をも考慮し、過失相殺による減額割合としては亡冨久、原告実のいづれについても四〇%が相当と判断する。

第四  損害

一  逸失利益

1  〔証拠略〕によれば、

訴外冨久と原告実との婚姻、離婚その後本件事故に至るまでの両名の関係、原告実を除くその余の原告らと訴外冨久の身分関係、訴外冨久の生年月日及び死亡時の年令が原告主張の通りであること、原告実は製紙関係技術者として製紙会社に勤務した経験を基に、昭和三一年福井市幾久町において独立して製紙工場を経営するに至つたが、右工場は昭和三六年台風で倒壊したこと、そこで同原告は、同市森田町に新たな工場を建設したが、これも本件事故直前の昭和四四年一〇月一九日放火により焼失したこと、右焼失当時の従業員数は約二〇名で、原告晃規、同俊夫、訴外冨久、同悟啓も右事業に関与していたこと、その月平均収益は幾久町当時が約五〇〇ないし六〇〇万円、森田町当時が約一、〇〇〇万円と事業は順調であつたこと、右事業において訴外冨久は原告実を手伝い渉外、会計、計理等の庶務一切を担当していたこと、同人の報酬ないし給与は特に定めてはいなかつたこと、昭和四四年一〇月当時右工場の従業員中の最高給与は月額六万五、〇〇〇円であつたこと、右森田町の工場が焼失した直後に冨久を失つたことと原告晃規らがいずれも他に転職したため、原告実は工場の再建を見合わせ今日に至つていること、以上の事実が認められ、他に右認定を左右するに足る証拠は存しない。

2  ところで企業活動に従事する者の死亡による逸失利益を算定するには、その者の企業から得る給与その他の収益額、企業活動に対する寄与割合などによるべく、右の如き算定をなし得ない場合には、反証のない限り口頭弁論終結時における所謂賃金センサスによつて算定するのを相当とする。

これを本件についてみるに右認定の通り訴外冨久は原告実の経営する製紙事業において渉外会計計理等の庶務一切を担当してはいたものの、同人に対しては特定額の報酬、給与等を定めて支給してはいなかつたもので、従つて右支給額を確定することはできないけれども、同人の右稼働状況に照らし同人は少くとも賃金センサスによる額の所得を得ていたであろうことは推認できる。

従つて訴外冨久の逸失利益は賃金センサスを基準にして算定するのが相当であり、そうすると同女は死亡時四八才の女子であつたから、その就労可能年数は六三才までの一五年であり、年平均生活費割合を四〇%とみれば、同女の逸失利益総額は五四九万二、九三九円である(円未満切捨、以下同様なお、死亡時昭和四四年から同四七年までは毎年度の賃金センサスにホフマン係数〇・九五二三を、同四八年以後六三才までの一一年間は同四八年度の賃金センサスにホフマン係数八・五九〇一を各乗ずる)。右金額を同女の相続人である原告晃規、同俊夫、同俊江が子として各三分の一宛の一八三万九七五円を承継した。

昭和44年 (31,500×12+72,700)×0.9523×0.6=257,520

昭和45年 (37,400×12+92,400)×0.9523×0.6=309,203

昭和46年 (42,500×12+112,900)×0.9523×0.6=355,912

昭和47年 (48,200×12+129,100)×0.9523×0.6=404,251

昭和48年以降 (56,000×12+136,300)×8.5901×0.6=4,166,026

計 5,492,939×1/3=1,830,979

二  慰藉料

1  〔証拠略〕によれば、

訴外冨久はその姉亡千枝死亡後後妻として原告実と結婚したものであること、亡千枝と原告実との間には訴外泰敏(訴外冨久結婚当時一一才)、同悟啓(同じく七才)の二人の子がいること、本件事故前の昭和四四年一一月には原告晃規は結婚し事故当時二七才、同年九月には原告俊夫は結婚し、事故当時二四才であつたこと、原告俊江は大阪外国語大学在学中で事故当時二一才であつたこと、現在原告実は無職、同晃規はカントリークラブに、同俊夫は内装工事の仕事にそれぞれ従事していること、同俊江は右大学を卒業し通訳をしていること、同チヨは八二、三才で訴外冨久存命中からも同人らとは同居しておらず、北海道で訴外冨久の妹がその面倒をみていること、が認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠は存しない。

2  そして、右認定の事実によれば、訴外冨久及び原告らが本件事故により蒙つた精神的損害を慰藉するには、

(1) 訴外冨久の死亡による同人固有の慰藉料は五〇万円をもつて相当とする。しかして死者の慰藉料も相続性を有するとされるから、右金額をその相続人たる原告晃規、同俊夫同俊江がそれぞれ子として各三分の一宛相続した。その金額は、右原告ら各自一六万六、六六六円である。

(2) 訴外冨久の近親者である原告らの慰藉料は、原告実(原告実と訴外冨久とは内縁の夫婦であるが、法律上の夫婦に準じ、同原告は民法七一一条にいう配偶者として、近親者慰藉料を請求し得ると解される)につき五〇万円、同晃規同俊夫、同俊江につき各一〇〇万円、同チヨにつき五〇万円をもつて相当とする。

三  葬儀費

原告渡辺実支出分二五万円を相当と認める。

四  物的損害(車両損傷)

〔証拠略〕によれば、本件車両は昭和四三年六月原告実が新車で訴外トヨタ自動車から購入したもので、右購入時から約一年六ケ月経過した後の本件事故により右車両は大破し、廃車となつたこと、通常新車は二年で下取りのうえ更に新車と入替えること、右事故当時の右車両の訴外トヨタ自動車の下取価格は約六〇万円であることが認められ、右認定に反する証拠はない。

従つて、本件車両の大破による損害額は六〇万円を以つて相当とする。

五  過失相殺及び損益相殺

そうすると、本件事故と相当因果関係にある原告らの損害は原告実が一三五万円、同晃規、同俊夫、同俊江が各二九九万七、六四五円、同チヨが五〇万円である。そこで先に認定した過失割合に従がい過失相殺する。そうすると各自の残存額は原告実が八一万円、同晃規、同俊夫、同俊江が各一七九万八、五八七円、同チヨが三〇万円である。

ところで原告晃規、同俊夫、同俊江が本件事故による損害に関し、既に保険金五〇〇万円の支払を受けていることは原告らの自認するところであり、その三分の一ずつ(一六六万六、六六六円)をそれぞれ右三名の原告らの右損害に充当すると、残存額は各自一三万一、九二一円である。

六  弁護士費用

弁論の全趣旨によれば、原告らはいずれも本訴を提起するに当り原告ら代理人弁護士に本訴の提起及び追行等を委任し、原告ら各自においてその費用を支出ないし支出予定であることが窺われ、原告各自の負担する弁護士費用は前記各損害の一〇%が相当と認める。

結局原告らが本件事故により蒙つた損害額は、原告実が八九万一、〇〇〇円、同晃規、同俊夫、同俊江が各一四万五、一一三円、同チヨが三三万円である。(計算表は別紙二のとおり)

第五  以上の次第であるから、原告らの被告に対する本訴請求は原告実につき八九万一、〇〇〇円、同晃規、同俊夫、同俊江につき各一四万五、一一三円、同チヨにつき三三万円の損害賠償と、これらに対する本件事故の翌日である昭和四四年一二月二二日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し、その余は理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九二条、八九条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 松本武 川田嗣郎 桜井登美雄)

別紙一 計算書

初年度分 二一六、〇〇〇円×〇・九五二三=二〇五、六九六円

(昭和四五年)

二年目 二一六、〇〇〇円×〇・九〇九〇=一九六、三四四円

三年目 四〇四、四〇〇円×〇・八六九五=三五一、六二五円

(昭和四七年)

四年目 〃×〇・八三三三=三三六、九八六円

五年目 〃×〇・八〇〇〇=三二三、五二〇円

六年目 〃×〇・七六九二=三一一、〇六四円

七年目 〃×〇・七四〇七=二九九、五三九円

八年目 〃×〇・七一四二=二八八、八二二円

九年目 〃×〇・六八九六=二七八、八七四円

一〇年目 〃×〇・六六六六=二六九、五七三円

一一年目 〃×〇・六四五一=二六〇、八七八円

一二年目 〃×〇・六二五〇=二五二、七五〇円

一三年目 〃×〇・六〇六〇=二四五、〇六六円

一四年目 〃×〇・五八八二=二三七、八六八円

一五年目 〃×〇・五七一四=二三一、〇七四円

合計 四、〇八九、六七九円

別紙二

<省略>

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